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| 時に西暦1995年10月。サングラスを掛けて挑む夕飯時。「僕達はみんなの心の中に生きてるからね!」と「ミュータントニンジャタートルズ」テレビ東京版最終回、潤む目を隠せど寂しはまでは紛らわせない。
「来週も、子供に夢と希望を与える番組を頼みますよ?」とハードボイルドに夕飯掻き込んでると「新番組、新世紀・エヴァンゲリオン出撃!」に「何がジャパニメーションじゃエロと暴力ばっかまみれてアメリカを見習おうとしない!日本製は本気出したら凄い事になるんじゃい!それを貴様等・・!」と内心噴火した退魔人ウサギ(当時13歳)。 庵野秀明という存在を破壊神として突き立てられ、やることなすことイチイチ格好良いので2015年4月1日の総監督就任発表にはハンカチを噛んで嫉妬し、エキストラとして作品に一枚噛む事で、放映20周年にして初めて冷静に「監督不行届」を見る事が出来るようになりました。 そこで「カントク君」が食生活と減量運動をしていた事を近頃になってしりました。 ですが私と来たら、労せず減量に成功してしまったのです。 著名な大規模撮影に「カントク君」が目の前にヌッと現れた、一言つぶやけばたちまち「風立ちぬ」。「カントク君」と生きて30センチ以内まで接近遭遇するとは思わず、あってどちらかが骨格標本か剥製になって展示されてからだ、余りに遠い存在なんだ、そう本気で思っていたのです。そんなカントク君が歩き始めたのです、こちらに向かって・・・。 初代ゴジラの「これは映画ではありません、紛れもなく庵野秀明が歩いています!」であり、GMKのランドマークタワーの「庵野接近!庵野接近!庵野、接近しまッ...!」であり、84ゴジラの「庵野が真後ろを通過します!」であり、「さようなら皆さん、現場からは。ではスタジオにお返ししますので『ゴジラ on the web』を引き続きご覧下さい・・・」でした。
私は思いました、「俺を殺す気か」。昼ご飯が全部戻りそうでした。他にもスタッフ諸氏の雲一つ上のヴァイタリーが滲む奔走劇はドクロ島やジュラシックパークのそれであり、そんな猛者に囲まれた“破壊神”の衝撃に、0.4トン(104キロ)あった私の体重は90キロを労せず切りました。 |