ゴジラ 襲来1954

 

11 東京湾爆雷戦

 「いやあ、困ったことになりましたな」そう言うと、運輸大臣石田光次郎はソファーにどっかと腰を下ろした。「富
津沖の騒ぎのせいで、東京湾に入る全ての船に警備艇をつけなきゃならんとは。警備艇の順番待ちで浦賀水道に入れずに別な港に針路変更する船が続出ですよ」
 ここは、国会議事堂にほど近いビルの一室である。例の怪物騒ぎの為に少しずつ混乱を始めた東京を何とか収拾する手立てを講じる為に政府関係者はあちらこちらで話し合いを持っていた。
 「うちも毎日陳情団が来てえらい騒ぎですよ」農林大臣の内田信也も何本目かの煙草を灰皿に押し付けながら言った。
 「房総半島側の漁業区域を全面操業禁止にしてますからな。その補償問題で対策を講じないとならない」
 「それに近々、海上自衛隊による爆雷攻撃が予定されているとか。そんなことになったら、東京湾の機能は全面ストップせざるを得ない。港湾関係者の失業問題に発展する可能性がありますな。只でさえ都内の失業者の問題に頭を悩ませている時なのに」
 「まったく、なんだってゴジラなんていう怪物が日本に来たんだ」大臣達は圧し掛かる問題に頭を抱えていた。

 別な場所でも政府関係者による話し合いが持たれていた。
 「東京湾岸の住民を全て避難させるなど無理な話です。時間も予算も無い!」「しかし、万が一ゴジラが首都圏に上陸してきたらどうなる?被害は館山の比ではないぞ」
 「まだ、ゴジラが来ると決まったわけではないでしょう?先日の富津沖のタンカー事故だって、残留機雷によるものだと言う意見もあるんですよ。それに本当にゴジラが東京湾内に潜んでいるとしても、今度の爆雷攻撃でお陀仏でしょう」
 「爆雷を逃れて陸地に上がりこんでくる可能性もあるぞ。その時はどうするんだ?」
 どの政府関係者でもゴジラ対策問題にきちんとした解答をだせる者は只の一人としていなかった。

 川嶋一曹がいくつかの書類を小脇に抱えて、佐伯の分室に入ってきた。
 「一尉、やっぱりアメリカが協力を申し出てきましたよ。爆雷攻撃用に駆逐艦を3隻出すと言って来ています」川嶋は書類の一枚を佐伯に手渡した。
 「駆逐艦3隻か。ウチの2隻とあわせて5隻。これで爆雷を東京湾にバラまくのか。うまくいきゃあいいが・・・」
 「やはり、最悪のケースを想定しておくべきでしょうか?上のほうじゃ今回の作戦でケリがつくと踏んでるようですが。なんせ、あさかぜ型を2隻とも投入するんですから」
 「楽観論で作戦を組み立てちゃマズイだろう。先の戦争だって、それでかなり手ひどい失敗を繰り返したんだからな」
 「上がそこまで考えていればいいんですがね」
 佐伯はいくつかの書類を眺めて何か思案を巡らせていた。そして、何事かを思いつくと立ちあがり制服の上着を取った。
 「川嶋、ちょっと出てくる。3時間ほどで戻るからお前は爆雷作戦の要綱を集めておいてくれ」そう言うと佐伯は足早にどこかへ出ていった。

 「本日、午前10時より、東京湾において海上自衛隊と米海軍による、ゴジラに対する爆雷攻撃が実施されます。このため全ての船舶は東京湾内の航行を禁止されます。繰り返します、全ての船舶は東京湾内の航行を禁止されます」
 ラジオが早朝からゴジラに対する爆雷攻撃のことを伝えていた。東京湾沿岸に住む人々、特に港湾関係の仕事に従事している人々は不安な面持ちでラジオから流れてくる情報に耳を傾けていた。

 一馬も出勤途中で街頭テレビから流れる放送に立ち止まり、それを見ていた。ほかにも出勤途中のサラリーマンやOLがテレビの回りに集まり、そのニュースを見て口々に意見を言い合っていた。

 「発射ァ!」自衛官の号令とともに発射筒から爆雷が次々と海中へ発射された。爆雷は海中に投じられた後、一定の深さに達すると爆発するように信管をセットされていた。
 やがて、海上に水柱が上がり、水煙とともに激しい爆発音が海上に轟いていった。
 「これで、ゴジラ騒動にも片がつくでしょう」駆逐艦「あさかぜ」の艦橋で副長が双眼鏡を眺めながら艦長に言った。
 「これだけの爆雷を投入すれば、いくら身の丈50米の怪物だってイチコロですよ」
 「アメリカの艦艇はどうなっている?作戦ははじまったのか?」艦長は通信係のほうを向き、厳しい表情で尋ねた。
 「はい、一○○○、我々と同時に爆雷投下を開始しました」

 「これでFDに止めをさせればいいんだが」米駆逐艦の艦橋では、艦長が爆雷の上げる水柱を眺めながら呟いていた。
 「艦長、本当に硫黄島の部隊はそのFDという怪物に歯が立たなかったのですか」士官が海図から眼を上げ、艦長に尋ねた。「迫撃砲による攻撃や機銃掃射に平気な怪物がこの世の中に存在するなんて、私はまだ信じられないのですが」
 「おまけに口から火を吐くなんて、餓鬼の頃に読んだ漫画に出てくる怪物そのものですよ」別な士官も双眼鏡を眺めながらそう言った。
 「私も報告を聞いたときには俄には信じられなかったが・・・、硫黄島の司令官は虚偽の報告をするような人間ではない。それにわざわざ『口から火を吐く怪物』なんて嘘の報告をする必要がどこにある?」
 「それはそうですが・・・」
 「これは本国で承認された作戦だ。疑いを挟む余地など無いのだ。我々はFDに対し爆雷攻撃を行い、目標を撃滅、最悪の場合でも横須賀への上陸を阻止する、これが任務だ」
 艦長は強い口調で士官たちに言った。

 爆雷攻撃が開始されて30分ほどが経過した。第一次攻撃が終了し、艦船は海が静まるのを待ってソナーによる海中探査を開始しようとしていた。
 「ソナーはどうか?」艦長が尋ねた。「まだ、海中がクリアーになっていません。もう少し待ってください」水測長
がヘッドフォンを片耳につけて答えた。
 「かき混ぜすぎだな、何も聞こえやしない」別な水測員がヘッドフォンを両手で押さえながら言った。
 「艦長!左舷前方に何かが!」その時、海上を監視していた士官が叫んだ。艦橋の全員の目が左舷の方向を向いた。
 
 左舷前方の海中から黒い塊が顔を出していた。その黒い塊はゆっくりと海中を移動し、僚艦のほうへ近づいていた。
 「いかん!ゴジラが接近しているぞ!早く連絡を!」直ちに光信号による連絡がなされた。だが、その信号を受けて駆逐艦が進路を変更しようとしたその時だった。ゴジラの黒く巨大な腕が海中から突然現われたかと思うと、駆逐艦の甲板にがきっとかけられた。その勢いで駆逐艦の前方が大きく海中へ傾いた。
 「うわああ!」「砲撃だ!砲撃よおーい!」「だめです!ここからだと0距離射撃になりこちらも危険です!」艦内
に乗員達の怒号が響いた。

 「こちらから砲撃できんか!?」あさかぜの艦長が叫んだ。「だめです!ゴジラがああも接近していては!」砲術士官が叫び返した。

 駆逐艦はゴジラの恐るべき力で激しく揺さぶられた。その力はやがて艦のあちこちに亀裂を生じさせ始めた。
 「艦内、浸水が始まりました!」「浸水箇所増大していきます!手が打てません!」「やむをえん!総員退避だ!総員退避せよ!」自衛官達はライフジャケットを着ける間もなく、次々と海に飛びこんで行った。
 ゴジラが更に力を込めて艦を揺さぶり始めた。と、なんということか、バキバキッという凄まじい音と共に強靭な駆逐艦の艦体が二つに裂け始めた。
 「な、なんてやつだ!」艦長が信じられないという顔でゴジラを見つめていた。

 「見てください!ゴジラの背鰭が光っています!」士官が双眼鏡を眺めながら叫んだ。

 ゴジラの口から蒼白い炎が艦に向かって吐き出された。その熱によって、艦橋の突起物や砲台が飴のようにぐにゃりと曲がった。そして熱が艦の燃料に達した時、艦は激しい勢いで爆発炎上した。

 「タンカーもあれでやられたのか・・・」士官が呆然とした表情で燃え上がる僚艦を見ていた。「砲撃だ!砲撃用意!」艦長の怒号で士官は我に返った。僚艦が沈められたのを受け、艦長はすぐさま反撃を試みようとした。
 一門ある砲塔がゴジラに向けられた。「砲撃用意!てー!!」駆逐艦あさかぜの127ミリ砲による艦砲射撃が開始された。轟音が東京湾に轟き、ゴジラの身体でいくつもの爆発が起きた。
 だが、砲弾はゴジラに命中するものの、まったくゴジラにダメージを与えてはいなかった。
 「砲撃がきかんとはどういう訳だ!?」艦長が怒りに顔を真っ赤にして怒鳴った。「爆雷だ!残りの爆雷をゴジラに叩きこめ!」ゴジラに対し徹底攻撃が行われようとしていた。

 「見ろ!ゴジラに攻撃がはじまったぞ!」東京湾上空では、爆雷攻撃を取材するためにマスコミのセスナ機が飛んでいた。眼下の海上では、駆逐艦あさかぜとゴジラとの死闘が展開されていた。記者は夢中でカメラのシャッターを切った。

 ゴジラの回りで、爆雷による激しい水柱が上がった。更にそこに駆逐艦からの砲撃が加わり、海上は水煙で白く覆われた。あさかぜにも豪雨のように海水が降り注いだ。
 「ゴジラはどうなった!?」艦長が叫んだ。「確認できません!視界がきかなく・・・、うわあああ!!」水煙の中
からゴジラの顔が艦橋のすぐ近くに突然現われた。士官はゴジラの無表情な目と向き合い、恐怖した。
 「ゴジラ接近!回避!回避!」操舵手が舵輪を力任せに回した。ゴジラが凄まじい咆哮をあげた。次の瞬間、ゴジラの口から吐き出された炎によって、艦橋の人間は一瞬にして蒸発した。

 「ああ!2隻ともやられたっ!!」記者は沈没して行く2隻の駆逐艦を見て叫んだ。ゴジラから吐き出された蒼白い炎があっという間のうちに海上自衛隊が誇る2隻の駆逐艦を轟沈してしまったのだ。
 「爆雷攻撃がゴジラを怒らせちまったのか・・・、こりゃあ大変だぞ!」記者は写真を撮るのも忘れて、眼下の惨状に見入っていた。

12 上陸前日

 その日のうちに、ゴジラが2隻の自衛艦からの攻撃をものともせず、逆に口から火を吐いてこれを沈めたというニュースが日本全国に駆け巡った。すると、人々の間に「もうすぐゴジラが上陸してくる」という噂が瞬く間に広まった。
 特に東京湾岸に住む人々の不安は頂点に達し、湾岸地域からの脱出が始まった。更に、噂を信じた人々や、実際に避難を始めた人々を見て不安にかられた人達がこの避難の群れに加わり、夜の東京は大混乱となった。
 国鉄の品川駅や上野駅では、家財道具を詰め込めるだけ風呂敷包みや行李に詰め込んだ人々でごった返した。ホームといわずロビーといわず人と荷物で溢れかえり、男の怒鳴り声、女の金切り声、それに子供の泣き声が混ざり、駅員だけではとても収拾がつかない状況になっていた。
 道路も同じように大混乱をしていた。自動車を調達できるものは皆、自動車にこぼれんばかりに荷物を積み上げ、そこに更に人を乗せて、東京から逃げ出そうと各幹線道路に集中した。たちまち、これまで警察が経験したことも無いような大渋滞があちらこちらで発生した。自動車だけではない、リヤカーや大八車を引く人々の列が渋滞を更にひどくしているのだった。この渋滞に追い討ちをかけるかのように、接触事故などが起き始め、道路一杯に荷物をばらまく車も現われた。幹線道路近くの細い生活道路まで渋滞を避けようとした車の群れで溢れかえった。
 各地の警察では非番の警察官をも動員し、この大混乱を少しでも収拾しようと躍起になっていた。だが、夜が更けるにつれて混乱は更に激しさを増していった。

 街頭テレビから、人々に「あわてず落ち着いて行動するように」との放送が繰り返されていた。だが、既に誰もその放送に注意を向けるものはいなかった。
 この混乱に乗じて盗みを働くものが出始め、警察の仕事は更に増えていった。

 九重一馬はまだ築地の下宿に残っていた。一馬はなぜ自分が逃げ出そうとしないのかを不思議に思っていた。身軽な一人身である一馬は逃げようと思えば簡単に逃げ出せる筈なのだ。だが、一馬はこの東京湾に程近い築地に残っていた。
 もちろんゴジラの姿をこの眼で見て見たいと言う興味もあった。しかし、それだけではない何かが一馬の中にあった。
 既に大家夫婦を含めた下宿の住人達は荷物をまとめて出ていってしまっていた。一馬が下宿を離れないというのを聞いて大家夫婦はしつこく避難を勧めた。そのあまりのしつこさに一馬は明朝早くに友人の車で東京を出るつもりだと嘘をつき、どうにか大家夫婦をなだめたのだった。大家夫婦は万が一ゴジラが上陸してきた時に備えて、築地にある防空豪の場所を一馬に教え、下宿を離れて行った。
 先の戦争からまだ10年と経っていない今でも、東京のあちこちには空襲を避けるための防空豪が残っていた。

 一馬が一つだけ気にかけていたのはすずの事だった。親しいもののあまりいないこの東京で、すずは一馬にとって心安らぐ存在だった。何度も身体を重ねて情が移ったのかも知れない、自分と同じ天涯孤独の境遇に親近感を覚えたのかも知れない。遊び相手であるはずの商売女のすずを心配している自分をおかしいと思いながらも、一馬はそうせずにはいられなかった。
 一馬は下宿を出て、近くにある公衆電話へ足を運んだ。小銭を放り込み、すずの店の番号を回す。呼び出しの音はするものの電話に出るものは誰もいなかった。もうすでにどこかへ避難してしまったのかも知れないと一馬は思い、受話器をフックに戻した。
 天涯孤独の自分には逃げる先など無いと言っていたすずだが、恐らく店の他の女と一緒にどこかの田舎に逃げていったのだろう。一馬はそんなことを考えながら下宿へと戻って行った。

 「なんだってアメリカは援護要請を無視したんだ!?」防衛庁では、自衛艦が2隻とも沈められた件で大騒ぎになっていた。「救助信号はアメリカの駆逐艦も受信している筈だ。それなのにさっさと横須賀へ戻って行くとはどういう了見なんだ?海事法無視も甚だしい!」
 日本の自衛艦が2隻とも沈められたとみるや、アメリカの駆逐艦3隻は海上で遭難している自衛官たちを助けようともせずに横須賀の米軍基地へ引き返していたのだ。海上保安庁の巡視艇が現場海域に駆けつけたときには、自衛艦の沈没に巻き込まれて何人もの自衛官が犠牲になっていた。
 「アメリカは我が国への協力よりも横須賀基地の防衛の方が大事らしい」苦々しげにそう言って、その職員は灰皿に煙草を押し付けた。

 同じ頃、防衛庁の別な一室に佐伯一尉と川嶋一曹の姿があった。ここはゴジラ対策に特別に設けられた作戦室であった。二人は作戦司令である国東陸将とともに陸将の個室にいた。
 「既に東部方面隊による沿岸地域配備は始まっている。海自や空自ともゴジラに対する攻撃オプションについては計画ができあがっているのだ。これ以上なにをしろというんだ、君たちは?」
 「陸将は現有兵力でゴジラを殲滅可能だとお考えですか?」佐伯は陸将の顔をじっと見つめて尋ねた。「もちろんだとも。ゴジラがいかに強靭な怪物といえども、陸、海、空の全ての自衛隊がこれと応戦するんだ。その火力は旧軍以上なのは君も知っているだろう」
 「しかし、ゴジラは核実験の影響を受けてもなお生き長らえている怪物なんです。万が一ゴジラの力が現有兵力を上回っていたら・・・」陸将は川嶋のその言葉を遮って言った。「万が一にもそんなことは無い!私が断言する!」
 「わかりました」佐伯が更に何事かを言おうとする川嶋を制して言った。「ただ、宮城の護りに備えてこれだけは許可願えませんか?」一組の書類を佐伯は机の上に差し出した。
 「確か宮城にはまだ陛下がいらっしゃると聞き及びましたが?」「・・・う、うむ。自分が国民よりも先に逃げるこ
となど出来ぬと仰られているらしい。宮内庁の人間が必死で説得しているのだが・・・。で、何だ?宮城の護りとは?」
 陸将はその書類をめくりはじめた。
 「沿岸配備に兵力を大幅に割く以上、宮城の護りが手薄になることは必至です。だが、それを使用すればその憂いも無くなると思うのですが」佐伯は口元にほんの少し笑みを浮かべながらそう言った。
 「貴様、これは!!」陸将が佐伯の顔とその書類とを交互に見ながら驚きの声を上げた。「こんなものをどこで手に入れてきたんだ!?これに関する資料はGHQに渡る前に全て旧軍が処分した筈じゃなかったのか?」
 「ほんの僅かですが資料が残されていたんです。登戸や島田からあちこちに分散していましてね。探すのには随分骨が折れましたが。その資料を取りまとめてなんとか形になるようにしたのがそれです」
 「貴様は・・・。食えない奴という噂は本当だな。佐伯一尉」「誉め言葉ととっておきます、陸将。許可をいただけ
ますか?」佐伯はぐっと身を乗り出して国東陸将に尋ねた。
 「許可もなにも・・・貴様の事だ、既に手筈は整えてあるのだろう?今度の騒動とは関係無く・・・」
 「日の目を見ることは無いと考えていたんですが」今度ははっきり、にやりと笑って佐伯は答えた。
 「・・・宮城の護りに使用するということであれば許可しよう。但し、別途私の許可があるまでは準備のみだ。使用許可は追って与える事とする」
 そういうと陸将は佐伯の持ってきた書類に「認可」の判を押した。

 「なんとか使える目処がたちましたね、一尉」分室に戻る廊下で川嶋が佐伯に言った。「それにしても、宮城を護る為なんて口実をよくとっさに思いつきましたね」
 「陸将も口実なのは承知の上さ。必要なのは大儀名分だ。それよりも、忙しくなるぞ。工廠との連絡はどうなっている?どの程度完成しているのか至急確認をとってくれ。ゴジラ上陸に間に合いませんでしたでは洒落にもならんからな」
 「はい!直ちに!」川嶋は佐伯に敬礼すると、足早に廊下を駆けていった。

 ゴジラ上陸の噂が流れ初めて2日が過ぎた。既に東京湾岸の住民たちの半分以上がどこかへ避難し、東京の街は普段の賑わいなど忘れてしまったかのように静まり返っていた。
 一馬のように都内に残っている人間も大勢いるはずなのだが、避難騒ぎで会社や商店が全て休みとなっているために誰も街中へ出てこようとはしていなかった。
 ただ警備の警察官と自衛隊の車両だけが街中を忙しそうに行き交っていた。

 二重橋前の広場では、自衛隊の一団が厳重な警戒のもと何かの準備を進めていた。広場には直径20センチほどの黒い絶縁ケーブルが百本以上も引きこまれ、それが大型の昇圧器のような機械に繋がれていた。
 広場には佐伯と川嶋の姿もあった。

 品川駅に程近い沿岸に配備された小隊も緊張の面持ちで海を監視していた。この場所にゴジラが上陸してくるなどとは誰も考えたくはなかったが、万一そんなことになれば今の装備だけでゴジラと戦えるのかどうか判らなかった。なにしろ相手は口から火を吐いて一瞬のうちに2隻の自衛艦を沈めた怪物なのだ。そのことを考えると自衛官たちの額にじわりと汗が滲んだ。
 やがて、日が西に傾き夕闇が辺りを包み込んだ。

 作者註 宮城(きゅうじょう)・・・皇居のこと
      登戸        ・・・神奈川県川崎市登戸にあった陸軍第九技術研究所のこと
      島田        ・・・海軍技術研究所島田分室のこと

13 ゴジラ襲来その1

 ざぶん、ざぶん、と防波堤に当たる波の音だけが響いていた。堤防沿いにずらりと並べられた牽引型155ミリ野戦砲について待機している陸上自衛隊の隊員たちは皆無言で海を見つめていた。
 ゴジラ上陸に備えて東京湾は封鎖され、全ての民間船は東京湾内への航行を禁止されていた為に、真っ暗な海には月明かりと時折海上保安庁の巡視艇が灯す明かりがチラチラと見えるだけだった。
 暑く、そして長い夜に自衛隊員たちの緊張と疲労は限界に達しようとしていた。

 海上を航行する巡視艇の上では、海上保安庁の職員が自衛隊員たちと同じように緊張した面もちで海上監視を続けていた。もしも今目の前にゴジラが現れたら、この船の下にゴジラがいたとしたら、そんな不吉な想像だけが彼らの頭をぐるぐると巡っていた。

 同時刻、横須賀米軍基地からも海上監視のために駆逐艦が出港していた。駆逐艦の艦長は大戦時にマリアナ沖海戦に参加した海の猛者であった。彼は硫黄島基地でのゴジラによる大被害を知り、ゴジラに対して激しい怒りの炎を燃やしていた。アメリカ海軍こそが史上最強の軍隊であると信じてやまない彼にとって、ゴジラはロシア海軍よりも更に許し難い敵であった。しかし、彼が怒っている理由がもう一つあった。それは、彼に下されている命令が「ゴジラ攻撃」ではなく、「ゴジラに対する海上警戒」だということであった。
 いかに敗戦国とはいえ建前上は講和条約を結び、アメリカの占領国ではなく独立した国家の表玄関で派手なドンパチをやるわけにはいかない、というのがその理由だった。だが、艦長は今だ日本をアメリカの占領地だと考えていた。事実、朝鮮戦争のときは日本はアメリカの「軍事基地」としての役割を充分に担っていたのだ。「何をジャップに遠慮する必要があるのか?」彼は副長にそう愚痴をこぼした。
 しかし、彼の考えは間違っていた。アメリカ軍上層部は、確かに日本を「独立国」などとは考えていなかった。だが、北の脅威から自由主義を守る砦としての日本、そしてそこに派遣されているアメリカ軍。もしも、ゴジラ攻撃によって自軍が損害を蒙り、ソビエトとのミリタリーバランスが崩れたらどうなるのか?それよりは日本に自国の守りを任せ、我々は基地の機能、能力が損なわれないようにしておけば良い。それに、設立されたばかりの自衛隊の危機対応能力を量るには絶好の機会である。相手がゴジラという怪物である以上、いかに日本が軍事活動のようなことを行おうとも、国際問題に発展する可能性などまったく無いのだから。上層部はそう判断し、米軍による積極的なゴジラ攻撃は控える決定を下したのだった。
 駆逐艦の甲板に備えられたサーチライトが海面を照らしだし、観測所に立つ水兵がその光を追うように双眼鏡で監視を続けていた。彼が目の疲れから双眼鏡を下ろそうとしたその時、遥か沖に、海面の暗さとは異質の黒い岩のような塊が海上に顔を出しているのが目に入った。彼はあわてて双眼鏡を構え直すともう一度その方角を見た。サーチライトが再び照らし出したそれは、記録写真に残されたゴジラの身体と特徴が一致していた。彼は伝令管に向かって叫んだ。
 「ゴジラ発見!右舷前方約200メートル!」
 「ゴジラの進行方向は!?」伝令管からの報告を聞いた艦長はすぐにそう怒鳴り返した。「北北西に進路をとっています!」「横須賀に報告!海図を出せ!」矢継ぎ早に命令が飛ぶ。
 「ヤツがこのまま進めば、大井か品川あたりにぶつかります!」士官が海図に引かれたラインを指で追い、報告した。
 艦長は何事かを考え、そして命令を出した。「艦載機に照明弾を搭載して発艦させるように基地へ依頼しろ。ゴジラが横須賀方面に進行してこぬよう万全を期すために照明弾で誘導しろ、とな」
 「日本政府への警告はされないのですか?」士官がその命令を聞いて尋ねた。
 「照明弾による誘導後、ゴジラの進行方向を確認。確実に東京へ向かうのがわかった段階で教えてやれ。ゴジラがそちらに行くぞ、とな」艦長の口元が笑いに引き攣るのを士官は見逃さなかった。

 「あれはなんだ?」海上保安庁の巡視艇は、突如として川崎方面の海上の空が明るく光るのを発見した。「照明弾のようですが・・・。一体誰がそんなものを?」
 その艇員は照明弾の光の列が少しづつこちらへ近づくように落されているのに気がついた。

 その二十分後、大井沖を航行中の巡視艇が海上を東京方面に向かう謎の物体を確認した。「アメリカの潜水艦じゃないのか?」「違います!あんな突起物、潜水艦にはありません!」双眼鏡を覗く艇員が叫んだ。
 「本部に連絡しろ!ゴジラを大井沖海上にて発見!」直ちに無電係が通信を行った。「こちら巡視艇はまちどり、大井沖2キロの海上にてゴジラを発見!繰り返す、大井沖にてゴジラ発見!沿岸の警備を厳重にされたし!」
 「ゴジラがこちらへ近づきます!は、早い!」既に肉眼で確認できるほど黒い塊が波を立てて巡視艇に接近していた。
 「面舵だ!かわせ!」「面舵一杯!」
 黒い塊が巡視艇のすぐ脇を通過していく。その塊が立てた波が巡視艇を激しく翻弄した。「て、転覆します!」艇が大きく傾き、船底が海上に現われた。

 練馬に設けられた対ゴジラ作戦司令所に海上保安庁からの連絡が入ったのはそれから五分後だった。更にその十分後今度は外務省ルートより在日米軍がゴジラを発見したとの知らせが届けられた。
 国東陸将はアメリカからの知らせを聞いて激怒した。「何故、これほど連絡が遅れたんだ!」

 大井埠頭と品川埠頭とに展開、待機している陸上自衛隊の特科部隊にすぐさま第一級戦闘配置の命令が下った。大井船舶信号所で海上監視をしている隊員達の目前でゴジラが海上にその畏るべき姿を現した。
 埠頭からのサーチライトに照らされ夜の闇の中に浮かび上がったその姿は、これまで人類が遭遇した事の無い恐るべき巨大生物だった。いや、その黒き巨岩のごときその姿は生物などというより伝説に語られている人知を超えた怪物そのものだった。ゴジラは波を立ててゆっくりと陸地のほうへ近づきつつあった。
 「ゴジラ発見!東京港を品川方面に移動中!」隊員は震える声で無線機に報告した。彼は目の前を通過していくビルよりも巨大な怪物の姿に、胸から下げたお守りを握り締め、その場にへたり込んだ。

 既に、大井と品川の埠頭からもゴジラの姿ははっきりと確認されていた。隊員達はその場から逃げ出したくなるような恐怖にかられていた。すぐ目前に理解の及ばない巨大な怪物がおり、それがこちらにゆっくりと近づいてくるのだ。
 「砲撃よおーい!」一等陸尉の階級証をつけた隊員が恐怖を振り払うように叫んだ。「うてえ!!」彼は腕を大きく振りゴジラを指差した。
 155ミリ野戦砲が次々と轟音を立てて火を放った。あたりにはたちまち硝煙の臭いが立ち込め、発射の振動により周囲の建物の窓ガラスがビリビリと震えた。
 ゴジラの周囲を赤い火線を引いて、砲弾が飛び交った。数発の砲弾がゴジラの身体に命中し爆発する。だが、ゴジラは少しも速度を緩めることなく芝浦方面に向かっていた。
 「砲撃、効果ありません!」あたりに立ち込める白煙に、目を真っ赤にした二等陸曹が一等陸尉の元に報告した。「更に砲撃を続けろ!奴を上陸させるな!」砲撃の轟音の中、一等陸尉は怒鳴り返した。
 砲弾の一撃がゴジラの頭部に命中した。眼のすぐ近くで起きた爆発にゴジラの動きが一瞬止まった。
 「動きが止まった!」一等陸尉は信じられないという表情でゴジラを見た。だが、次の瞬間、ゴジラは雄叫びを上げると海中から自身と同じ位の長さのある尻尾を持ち上げ、野戦砲の列めがけて尻尾を薙いだ。
 恐るべき尾の力は、全ての野戦砲を吹き飛ばし、自衛隊員たちも砲とともに空中高く跳ね飛ばされた。

 「品川の特科部隊、全滅しました!」国東陸将にすぐに報告が入った。「全滅だと!?ゴジラはどうなったんだ!?」
 「ゴジラの進行、止まりません!芝浦へ移動しています!」「上陸を阻止できなかったのか・・・」国東陸将は地図を睨みつけながら呟いた。
 「よし、芝公園に配置した特車(戦車)隊に応戦させる!港区まででゴジラを止めろ!」陸将が地図の芝公園の部分をバンッと叩いて命令を下した。

 遂にゴジラは芝浦に上陸し、その全身を現した。四本爪のついた巨大な足が地面にめり込む度に、あたりに地響きが轟き、それだけで建物の壁にヒビが入り、崩れ落ちた。
 道路に放置された車などはゴジラに踏みつけられたちまちペシャンコとなった。漏れたガソリンに引火し、何台もの車が夜空に紅蓮の炎を燃え上がらせた。
 ゴジラは品川駅の車線区にその巨体を踏み入れた。ゴジラが線路を踏みつける度に地面には大きな窪みができ、折れ曲がった線路が墓標のようにあちこちに突き立った。線路に並べられた列車はゴジラに跳ね飛ばされ、踏み潰されていった。車両を移動させようと駅構内に残っていた国鉄の職員達は、ゴジラの姿を一目見るなりほうほうの体で駅を逃げ出していった。

 二重橋前の広場に詰めている佐伯と川嶋のところからも、品川方面の暗闇の中に動く巨大なゴジラの姿を見ることが出来た。ビルとビルとの影にチラチラと巨大なものが動くのが見えるのだ。
 「本当に来やがった・・・」川嶋は呆然とその姿を見つめていた。その横で佐伯もまたじっと拳を握り締めてゴジラの姿を睨みつけていた。
 佐伯の元に一人の自衛官が駆けより、敬礼をすると、準備が整ったとの報告をした。「間に合ったか」そう言うと、彼はテントの中の無線機に手を伸ばした。



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