ゴジラ 襲来1954

 

17 ゴジラ襲来その4

 九重一馬は、他の避難民とともに月島の隅田川べりにいた。いまやこの場所からも銀座や赤坂の、夜空を焦がす紅蓮の焔を見る事ができた。避難してきた住民達は一様に不安げな面持ちで紅く燃える空を眺めていた。子供たちは親の手を握り、若夫婦らしい二人連れは夫が妻の身体をしっかりと抱き寄せていた。
 「大空襲の時と同じだ・・・。せっかくあそこまで復興したのに」誰かがポツリと呟いた。
 一馬の横手で、ちゃっかりと電柱から電源を取って、家から持ち出してきたラジオを聞いている男がいた。その男と周りの人々はそのラジオから流れてくる雑音交じりのアナウンサーの声に黙って耳を傾けていた。
 「・・・どうし・・事でしょう?先ほど、日比谷・・・に一度はその巨・・・沈めることに成功し・・・・衛隊の攻撃でしたが、・・・・・・・・まったく効き目が・・・・」そこから先はザザーという雑音に掻き消されてまったくアナウンサーの声が聞こえなくなった。
 「くそっ!このオンボロ!」ラジオの持ち主が、そのラジオの横の部分を数回平手でパンパンと叩いた。すると、また雑音混じりに放送の音が入り始めた。
 
「どうやらゴジラは、この放送塔がある市ヶ谷に向かっている模様です。我々報道班の前にゴジラはその姿を現すのでしょうか?それに・・も、先ほどゴジラを・・・たあの雷のような光は・体なんだっ・・・う?自衛隊の新兵器な・・しょうか?」
 ラジオ放送を聞いた避難民たちは不安を口にし始めた。
 「自衛隊の攻撃にも平気なんだと」「じゃ、どうすりゃあの怪物を退治できるんだ?」「アメリカさんに頼むしかないんじゃないのか?」「黙れよ!ラジオが聞こえないじゃねえか!」
 
「・・や、ゴジラの通過した後は炎の海・・し、見渡せ・・・・尾張町から新橋、田町、・・・・芝浦方面はまった・・・の海で・・・」
 「くそお、俺の会社は新橋にあるんだ!大事な書類が置いてあるのに・・・!」避難民の一人が怒りの声を上げた。
 
「ああっ!今、ビルの影からゴジラがその姿を現しました!只今、ゴジラはこの放送を・・・すテレ・・・に向かって・・・」
アナウンサーの逼迫した声に、周囲の人々の耳が一斉にラジオに傾けられた。
 
「もう退・・・暇もありま・・ん!我々の命・・・・るか?ますます・・・」そこから先はまたザーという雑音に変わった。
 「おい!ラジオをなんとかしろよ!」周囲の人々が口々に文句を言い始めた。まるでラジオから流れているのが人気の連続番組であるかのように人々はその放送に聞き入っていた。
 ラジオの持ち主はまたもラジオを2、3度叩いた。と、今度は雑音の少ないはっきりした声が聞こえた。
 
「いよいよ最後!さようなら皆さん、さようなら!」それに続いてゴー、という音がしたかと思うと、唐突にラジオが沈黙した。
 「ど、どうなったんだ?」「やられちまったのか?」人々は互いに不安そうに顔を見合わせた。
 重苦しい沈黙が2、3分続いた後、再びラジオからアナウンサーの声が流れ始めた。しかし、その声は先ほどの現場からのものではなく、どこかのスタジオから放送されているもののようだった。
 「えー、ニュースの途中ですが、どうやら現場で・・・」そこで、一瞬アナウンサーが言いよどんだ。「事故が起きた模様ですので、ここからはスタジオからの放送に切り替えさせて頂きます」

 ゴジラは市ヶ谷の米軍駐屯地のすぐ横をゆっくりと通りすぎていた。外堀通りに配備されていた特車隊のM24の戦車砲はまったくゴジラに対して効果が無かった。
 と、そこへ15機ほどの戦闘機の編隊が夜空にその姿を現した。
 「隊長!空自の戦闘機が援護に来ました!」「馬鹿な!そんな報告は受けていないぞ!」突然の戦闘機の出現に特車隊員たちは戸惑った。
 「あれは・・・、米軍のセイバーだ!駐屯地の護衛に飛んできたんだ!」戦闘機の胴体に描かれたマークを見て一人の隊員が叫んだ。それと同時にロケット弾による攻撃がゴジラに敢行された。「外れたロケット弾が飛んでくるぞ!退避しろ!」特車隊員達はあわててビル陰に隠れた。
 ゴジラの身体で何発ものロケット弾による爆発が起きた。しかし、その攻撃はゴジラの怒りを呼ぶだけであった。
 ゴジラは首をもたげると、セイバー目掛けて放射能火炎を吐き出した。2機のセイバーが炎の直撃を受けて空中で四散したが、他のセイバーはその焔を潜り抜けた。しかし、突然バランスを崩すと、残りのセイバーも次々と失速し街の中へ墜落していった。
 「ど、どうなってるんだ?」「あの焔だ!あれの熱波がジェットエンジンを壊したり、乱気流を起こしてるんだ!」
 街は墜落したセイバーの起こした炎のために業火に包まれ始めた。

 外苑広場では、先ほどの二等陸佐が技術研究所の人間を怒鳴りつけていた。
 「馬鹿者!直らないとはどういうことだ!?貴様等も自衛官の端くれなら根性でなんとかしろ!」
 「し、しかし、完全に中の回路が焼き切れていて、ここでは修理が不可能なんです」「では、あのままあの怪物に東京を蹂躙させておけというのか、貴様は!?」二等陸佐がその二等陸尉の胸倉を掴み上げて睨みつけた。
 「待ってください!」後から声をかけたのは川嶋一曹だった。「元はいえば、あなたが規定値以上の出力で『し』号を稼動させたからではないですか!それを何と言う言い草ですか!?」川嶋の眼は怒りに燃えていた。
 「なんだと、貴様」二佐は二等陸尉の胸倉を離して川嶋と向き合った。そのすぐ脇には部下の男が立ち、川嶋に冷たい視線を投げかけていた。
 「俺のせいにするのか!?大体、こんなまともに動かない兵器を勝手に作りおって只で済むと思っているのか!?全ては貴様等四特分室の責任だぞ!この役立たずどもが!」
 「・・・あんたは、何て卑劣な!」そう叫ぶと、川嶋はその二佐に殴りかかった。「よせっ、川嶋!」佐伯が川嶋を制そうとした寸前、二佐の部下が川嶋とその二佐との間に身体を割り込ませて川嶋を投げ飛ばした。
 「ぐうっ!」背中から地面に叩きつけられた川嶋は呻き声を上げて転がった。「川嶋!」今度は佐伯が川嶋を助け起こそうと駆け寄った。
 二佐は乱れた髪を手櫛で直すと、二人に吐き捨てるように言った。
 「国民から預かっている大事な防衛予算でこんな役立たずの兵器を作った貴様等の責任は然るべきところに報告して、処罰を下してやる!覚悟しておくんだな!」そこまで言うと二佐は口元に薄ら笑いを浮かべて佐伯を見た。
 「ふん、役立たずの人間が作るのはやっぱり役立たずの兵器だな」
 「佐伯一尉を侮辱することは許しません!」苦しい息の中で川嶋が叫んだ。「よせ、川嶋」佐伯が憤る川島を制した。「もういいでしょう。これ以上ここにいらしても何の手柄も上げられませんよ」佐伯は冷静な態度でその二佐に言った。
 「・・・行くぞっ!」二佐はもう一度佐伯と川嶋を交互に睨みつけると、部下の男を連れてジープで走り去った。

 「ゴジラはその後神楽坂を抜け目白通りへ、そのまま東京大学方面へと進んでおります」ラジオからはゴジラ侵攻の模様がずっと放送され続けていた。
 「おい、このまま進むとゴジラはどこへ行くんだ?」人々もラジオから流れてくる情報から片時も耳を離さなかった。「東大っていうと本郷だよな。そうすると上野や浅草も危ねえぞ」「浅草の観音様が!じゃ、花街もやられちまうんじゃねえのか?俺あ、馴染みの店があるんだぜ」
 男達のやり取りを聞いていた一馬には先ほどからずっと気がかりな事があった。避難前にとうとう連絡がつかなかった吉原の女、すずの事である。その男の言葉を聞いた一馬はとうとう居ても立ってもいられなくなった。
 「すまん、ちょっと通してくれ」一馬は避難民の列を掻き分けて月島の大通りに出ると、道に放置してあった自転車に跨り勝鬨橋のほうへと走り始めた。
 「おいこら!どこへ行くんだ!そっちは危ないぞ!」警官隊の制止を振りきって一馬は勝鬨橋を渡りきると、そのまま晴海通りから昭和通りへと自転車を走らせた。

 「なんだと?『し』号兵器が・・・!」国東陸将の元にも『し』号兵器使用不能の報告が届けられた。「折角ゴジラの進行を阻む有効な手段であったのに・・・。止むをえん、特車隊及び特科隊の展開はどうなっている?」
 「はいっ!現在特科隊を上野恩賜公園周辺に、特車隊は不忍通りに集結しつつあります。しかし、戦力の消耗が激しく満足に戦える隊は僅かとなっています・・・」
 「・・・では、この地点をゴジラ迎撃地点と定める」国東陸将は地図上の一点を示した。「この天神下交差点で、ゴジラを迎え撃つ。残存戦力の全てをここに集中し、何としてもゴジラを倒すんだ!」

 「すいませんでした、一尉。軽率な真似をして」川嶋は、発令所とのやり取りを終えた佐伯に向かって頭を下げた。
 「構わんさ。しかし一発くれてやる前にやられちまうとは、やっぱり訓練不足だぞ、お前」佐伯は川嶋に笑いかけて言った。
 「しかし大丈夫でしょうか?あの二佐・・・」「気にするな。そんな心配は全てが終わってからだ」そう言うと佐伯は、傍らにいる技術研究所の二尉のほうへ向き直った。
 「すまんが後はお願いする。俺達は上野へ向かう」「はい!できるだけ早急に『し』号兵器を回復させます!」
 「頼む」佐伯は二尉に敬礼すると、ジープへ向かって駈け出した。川嶋もそれに続いて席を立つと、二尉に敬礼してから佐伯を追いかけた。

18 ゴジラ襲来その5

 東京大学の正門を破壊し、続けて安田講堂をも瓦礫の山と化したゴジラはそのままゆっくりと不忍池へ向かって東京大学の敷地内を移動していた。日本最高学府の歴史も栄光もゴジラによって蹂躙され、全ては炎の中に消えて行こうとしていた。
 不意にゴジラの右手で幾つもの明るい火球が夜空に浮かび上がった。それは、自衛隊によるゴジラ誘導の為の照明弾であった。
ゴジラはその光に興味を示したのか、突然方角を変えてその光の方へと歩を進め始めた。
 「成功です!ゴジラは天神下交差点に向かって進行を始めました!」本郷交差点でゴジラの動向を監視していた偵察隊が発令所に報告を入れた。

 「ゴジラは春日通りに入った模様です!現在、本郷消防署前、交差点までもう1kmとありません!」机上のゴジラの駒を指しながら、士官の一人が国東陸将へ報告した。
 「全ての配置は完了したか?」「はい、特車隊は交差点の三方、池之端、湯島、上野広小路に配置を完了しています。特科隊も上野恩賜公園内に配置終わりました!」
 「よし、ゴジラがこの湯島神社と福成寺とを結ぶ直線上を越えたときを攻撃開始時刻とする。各部隊へ通達しろ!」
 国東陸将は自ら赤鉛筆で地図上に一本の線を書きこんだ。

 ゴジラがその巨体を天神下交差点に現した時、展開されたM-24軽戦車チャーフィーの76mm砲による一斉砲撃が轟音とともに開始された。背後を除く三方からの攻撃にゴジラの身体はたちまち火花と白煙とに包まれた。
 続けて上野公園に配された155mm野戦砲と105mmM2榴弾砲とがゴジラに向けて砲撃を開始した。上野の山は野戦砲の放つ白煙と硝煙の匂いに包まれ、西郷隆盛の銅像は砲音に共鳴してビリビリと震え出した。
 ゴジラは日比谷公園のとき以上の攻撃に晒され咆哮を上げた。放射能火炎の白熱光が通りを後退し遅れた特車とともに業火に包んでいく。だが、同時に三方を攻撃できないゴジラに対して、特車隊は退避と攻撃を繰り返しつつ、確実に砲撃をゴジラに叩きこんでいった。さらに、ジープ部隊のM40A1無反動砲による攻撃がそれに加わった。
 だが、それらの攻撃はゴジラの前進を阻むどころか、その身体に一つの傷をも負わせてはいなかった。
 ゴジラが水上音楽堂の建物を踏み潰し、不忍池に足を踏み入れた。溢れかえった水が不忍通りを流れ、水と共に流された何匹という鯉が通りを通過する特車のキャタピラに轢かれていった。
 不忍池の中島にある弁財天が、そして上野精養軒が瓦礫と化した。不忍通りを移動する特車隊からの砲撃をものともせずゴジラは間接攻撃の効かない距離まで特科隊に迫っていた。
 「だ、駄目です!まったくゴジラに攻撃の効果ありません!」今にも泣き出さんばかりの表情で、特科隊員が無線機に向かって叫んでいた。「我々は退避します!我々に成す術はありません!!」
 上野公園に向かってゴジラの放射能火炎が吐き出された。春先には都民の目を楽しませてきた何百本という桜の木もその火炎に包まれたちまちパチパチという爆ぜる音を立てながら燃え上がった。
 公園内に展開された特科隊の誇る装備の数々も放射能火炎の熱によって捻れて溶け出し、見るも無残な有様となっていった。

 昭和通りを上野駅に向かって北上していた佐伯と川嶋は、燃え上がる上野公園の天を紅く染める炎を見ていた。
 「駄目だっ!砲撃が全然効いてない!」川嶋がくやしそうに叫んだ。佐伯はただ無言で炎を見つめていた。
 「一尉、上野の部隊はどうなったんでしょう・・・?」「・・・あの様子では、優勢ってことは無いだろう。特科隊の連中、無事ならばいいが・・・」
 「このまま進むと特車隊が展開している春日通りに出ますがどうします?」「武器も無い俺達が行ってどうなるもんでもないだろう。右折して国際通りのほうへ行ってくれ。特車隊が態勢を整えて再攻撃を行うなら、浅草通りと国際通りの交わるあたりだろう。
再攻撃ができるなら、だがな」
 「了解しました」川嶋はハンドルを右に切って、車を蔵前橋通りへと進ませた。

 「上野公園の特科隊、完全に戦闘不能に陥りました」現場からの報告を受けて士官が沈んだ口調で国東陸将に告げた。「・・・隊員たちはどうなった?」「ゴジラの攻撃の前に退避して、多少の怪我人はいるものの無事のようです」
 「そうか・・・」国東陸将は右手でこめかみのあたりを揉んだ。「負傷しているものを除き、隊員たちを警察、消防に協力して被災者の救済にあたらせてくれ。その後のゴジラの動きは?」
 「ゴジラは上野駅を破壊後さらに北上、言問通りに出た模様です」机上の地図に置かれた特科隊を表わす駒が取り除かれ、ゴジラの駒が言問通りの処に置かれた。
 「陸将、まだ特車隊が生きています。この寿四丁目交差点付近に再度特車隊を展開させゴジラを迎え撃ちましょう。野戦砲はありませんが、ジープに搭載した迫撃砲もあります。富士の教導隊も、もうしばらくすれば到着します」
 士官が地図上に示した点は、まさしく佐伯一尉が言った通り、浅草通りと国際通りとが交わる地点だった。
 国東陸将はしばらく地図を睨みつけたまま微動だにしなかった。そして、唐突に拳で机を打ちつけて叫んだ。
 「よし、特車隊を寿四丁目交差点付近に集結させろ!徹底抗戦だ!」陸将の拳に血が滲んでいた。

 「佐伯一尉、あれを見て下さい。民間人が前方に・・・」川嶋が車の前方を走る自転車に乗った男を指差した。
 「このあたりは避難勧告が出ている筈です。どうします?」「見つけちまったものしょうがあるまい。あのチャリンコの前方で車を止めろ。野次馬にはお引取り願おう」
 「了解!」川嶋はアクセルを踏みこむと車を急加速した。車があっという間に自転車の男を追い越すと、川嶋は急ブレーキをかけハンドルを思いっきり右に切った。タイヤが軋みテールが横に流れて、丁度自転車の進行を塞ぐような形で車が止まった。
 「何しやがる!危ねえじゃねえか!」自転車の男が佐伯達に向かって怒鳴った。佐伯と川嶋は車から降りて、その自転車の男と向かい合った。
 「俺は急いでるんだ!邪魔しないでくれ!」佐伯はその男の声に聞き覚えがあった。佐伯は懐中電灯を取り出すと男の顔を照らした。男は眩しそうに手を目の前に翳した。
 「あんたか、九重さん!何やってるんだこんな所で!?」それは先ほど佃の避難所を飛び出した九重一馬だった。
 「・・・自衛隊のニイちゃんか。変なところで会うもんだ。俺は行くところがあるんだ、邪魔しないでくれ」「そうはいかん。ここから先は民間人の立ち入りは禁止されている、すぐに避難場所に引き返せ」佐伯は先を急ごうとする一馬の前に立ちふさがった。
 「言っただろ。この先に用があるんだ」「駄目だ!あれが見えるだろう。ゴジラがこの先にいるんだぞ!」川嶋が紅く染まる浅草方面の空を指差していった。その紅い空をバックにしてビルの間に巨大な黒い影が動いていた。
 「もとより承知の上だ」一馬は二人を無視して自転車に跨ろうとした。「だめだと・・・」川嶋は一馬を制そうと左腕を掴もうとした。だが、次の瞬間川嶋の身体は空を舞っていた。
 「こ、このっ!」地面に落ちる寸前に受身の態勢を取ったためそれほどのダメージを受けている訳ではなかったが、不意を突かれたとはいえ現役の自衛官が民間人に投げ飛ばされたことに対して川嶋は屈辱を感じていた。
 「邪魔すると、次は本気を出すぞ!」一馬は川嶋に凄んだ。
 「この野郎、下手に出てれば・・・」「待て、川嶋」今にも一馬に殴りかからんばかりの川嶋を佐伯が制した。
 「この先でゴジラと特車隊との交戦が行われるんだ。今、ゴジラが浅草からこちらへ南下してきている」「浅草から?じゃああの付近はどうなったんだ!?」
 「見りゃあ判るだろう!ゴジラのせいで火の海だ!あんたも焼け死ぬつもりか!?」怒りの収まらぬ川嶋が一馬に怒鳴った。
 「火の海だと!」川嶋の言葉に驚いた一馬は、駈け出して手近のビルの非常階段を上り始めた。「おいっ待て!」
 佐伯と川嶋の二人もその後を追って非常階段を駆け上がった。

 屋上に上った一馬は浅草方面を眺めて愕然とした。上野から浅草付近にかけての一帯で炎が燃え広がっていたのだ。
 いや、そこだけではない。一馬の後方、銀座、赤坂付近そして宮城の向こう側も炎によって空が紅く燃え、正に東京中が火の海に包まれたかのようだった。そして、その炎の中に蠢く巨大な黒い影こそがゴジラであった。
 「すず・・・」呆然と一馬は女の名前を呟いていた。

 ゴジラはゆっくりと広い通り―国際通り― を南下していた。既にゴジラの通りすぎた跡は破壊し尽くされ炎に包まれていた。
 さらにゴジラは咆哮を上げると放射能火炎を吐き出した。その白熱光は「浅草の観音様」として慕われている浅草寺を直撃した。
 その炎はたちまち仲見世通りに燃え広がり如来像と巨大な提灯とを焼き尽くした。
 「ゴジラが・・・来ます・・・」交差点に集結したM-24の中で、特車隊員の身体がガタガタと震えていた。

19 ゴジラ襲来その6

 「特車隊との連絡が途絶えました。恐らく・・・」士官は声を落として国東陸将にそう報告した。「もはや手立ては無いに等しい状態です。富士の教導隊も新潟、仙台の部隊も到着まで尚時間が必要ですので」
 「くそっ!東京をあれだけ蹂躙されているというのに!」別な士官が窓際に立ち、外を眺めて悔しげに言った。発令所のあるこの練馬からでも真っ赤に染まった夜空と東京を燃やし尽くさんとする業火とが見て取れた。
 「陸将、先ほどのようにゴジラを照明弾で誘導しましょう。ゴジラを海へ逃がすしか我々に打つ手はありません」
 その助言を受けた国東陸将は、両手で顔を覆ってしばらく何事かを考えていた。その時間があまりにも長く感じられ、士官は陸将に声をかけた。「陸将?」
 「君の案に任せる。陸自の航空隊だけで足りないのならば、私の名で空自に応援を要請して構わん。とにかく、奴をこの東京から引き離さねば」顔を上げた陸将は士官にそう命令を下した。国東陸将のその顔には疲労と苦悩が刻まれ、顔色は蒼白となっていた。

 「佐伯一尉!」車に搭載された無線機を使って発令所との連絡を取っていた川嶋が佐伯のところへ戻って来た。彼らはこのビルの屋上からゴジラがしばらく立ち止まり、その場所で尻尾や足を振りまわすのを成す術も無く眺めていた。それは、特車隊がゴジラによって蹴散らされている様子だった。
 「ついに隊はゴジラ殲滅を放棄したようです。ゴジラを海に誘導する案が代りに取られるそうです」
 「誘導か。遅きに失した感はあるが、もうそれしか方法は無いだろう。くそ、『し』号が使えれば・・・」佐伯は再び歩を進め始めたゴジラを見ながら悔しげに言った。
 「技研部隊の方は『し』号の修理に当分手間取りそうです。思った以上に焼けた部品が多いらしくて」
 「おい、俺はもう行くぞ」その二人に一馬は声をかけて階段をかけ降りはじめた。
 「待て、まだ危ない!」川嶋が慌てて一馬の後を追いかけ始めた。佐伯もそれに続いた。「九重さん、浅草はあの通り火の海だ。そのすずって娘もあんなところには残ってやしないさ!」佐伯は一馬を追いかけながら声をかけた。
 「浅草の住人達の避難所まで送ってやるからそこを当たってみてはどうなんだ!?」
 「避難所って何処にあるんだ!?」走りながら一馬は佐伯に問い返した。「向島のところの隅田公園だ!あそこまで自転車で行くのは無理だぞ!ゴジラの間近か火の海を通らないと辿りつけん!あんたのほうが死んじまうぞ」佐伯は階段を降りきったところでようやく一馬の横に並んだ。
 「あんたが死んじまったら誰がその娘を探すんだ?」
 佐伯のその言葉に一馬はゆっくりと走る速度を落した。
 「とにかく俺達と一緒に車に乗ってくれ。ちょっと遠回りはするが、隅田公園まで行ってやるよ」
 一馬はしばらく佐伯の顔をじっと眺めた後、ぼそりと呟いた。「・・・頼む」

 三人を乗せた車は江戸通りを南下していた。川嶋は、ゴジラの進行と炎を避けるために清洲橋を通って隅田川を渡り、そこから再び北上して向島へ向かうコースを選んでいた。途中数ヶ所で警察と消防との避難誘導に止められたが、自衛隊の制服姿が役に立ち、公務であることを説明すると警察官達は敬礼をして佐伯らの車を通した。
 「一尉、見て下さい、あれ」川嶋が前方の上空を指差して叫んだ。佐伯もそれを認めると車のウインドを下げそこから頭を出した。
 「照明弾か。誘導作戦が始まったな」
 隅田川の河口付近、ちょうど隅田川と晴海運河とが分かれるあたりの上空でいくつもの光が空から降っていた。

 ゴジラは南の空に輝くその照明弾の光を見つけると、咆哮をあげ、そちらに向かって歩き始めた。ゴジラは地面を揺るがす足音をたてながらゆっくりと南下をはじめると、周りの建物を破壊しやがて隅田川へとその身を投じた。
 両方の川辺りはゴジラが進むたびに水が溢れ、川沿いの建物は時ならぬ浸水にさらされた。ゴジラは両国橋にさしかかると両腕を橋の鉄骨にかけた。ゴジラが更に前進するとまるで飴細工のようにその鉄骨が折れ曲がり、その強靭な力に耐えきれなくなった橋は
幾つかの部分で千切れ、水飛沫を上げて川へ崩れ落ちていった。

 佐伯達を乗せた車はちょうど清洲橋を渡りきったところだった。
 「ゴジラが川を下ってる!」川嶋が両国付近に姿を見せたゴジラを見て叫んだ。「奴め、建物が多い地上よりも通りやすい隅田川を選んだのか」一馬も車窓から身を乗り出してゴジラを眺めた。
 「途中の橋を全部なぎ倒していくつもりか!」川嶋は車を止め、川を南下してくるゴジラに向かって叫んだ。そのセリフに佐伯は一度川嶋の顔を見た後、何事か考え始めた。
 「おい、川嶋。地図はあるか?」「地図、ですか?ええ、確かここに・・・」川嶋はダッシュグローブの中をごそごそと探ると、小さく折りたたまれた地図を佐伯に渡した。
 佐伯は車の外に出るとボンネットの上でその地図を広げた。佐伯は地図を懐中電灯で照らしながら隅田川の流れを追っていた。
 「佐伯一尉、何をされているのですか?」川嶋も車を降りると佐伯に尋ねた。一馬は車に乗ったまま窓から顔を出して二人を訝しげに眺めていた。
 「川嶋、奴がこのまま下ってくると、この隅田川か晴海運河のどちらかに進む事になる。晴海運河なら、奴は防衛庁の目と鼻の先を通って行くということだ」佐伯は懐中電灯の明かりで地図上の防衛庁を照らした。
 「あ、確かにそうです!越中島はここですから・・・」
 「川嶋、こいつは最後の機会かもしれんぞ。この相生橋のところでゴジラに対する罠を仕掛けるんだ」
 「罠!?ゴジラに、ですか?」川嶋は佐伯のその発想に、いったいこの上官が何をするつもりなのか、驚きを感じていた。
 「至急、外苑広場の技研部隊に連絡を取れ!あの昇圧機を防衛庁まで運ばせるんだ!」「昇圧機ですか?一尉、一体何を・・・」
 「急げ、ゴジラは待っちゃくれないぞ!」佐伯はまだよく理解できていない川嶋にハッパをかけた。
 「おい、いつまでここに止まってるつもりだ?」業を煮やした一馬が佐伯達に怒鳴った。
 「すまん、九重さん。約束は守るからもうしばらく俺達に付き合ってくれ!」
 「付き合うって・・・何を始める気だ、あんたは?」いらついている一馬を尻目に、車に乗りこんだ二人は車を急発進させると、防衛庁のある越中島に向かって車を走らせ始めた。

 佐伯から連絡を受けた国東陸将も、佐伯の依頼をよく理解できなかった。「有刺鉄条網?そんなもので相生橋を包んで何をするつもりだ?」
 「ですから陸将、その有刺鉄条網を通電させるんです!『し』号の効果から考えて、ゴジラは電撃に弱い。『し』号は壊れましたがまだ昇圧機は生きています。高圧電流を流した有刺鉄条網で覆った相生橋にゴジラが触れれば奴に相当のダメージを与える事が出来ます!更に水中にも電流を流しておけば相乗効果も期待できます!」
 「電撃か・・・」無線機の向こうで国東陸将が黙考した。「お願いします陸将、これが最後の機会です!」
 「・・・分かった。俺の名前で庁のほうに連絡を取る。貴様は現場に向かえ」
 「了解しました!ありがとうございます!」

 「作業を急げ!ゴジラ到来まで時間が無いぞ!!」相生橋の両端では電撃作戦に駆り出された自衛隊員達が作業に駆けまわっていた。巨大な木製のリールに巻かれた有刺鉄条網を積んだトラックが何度も橋を往復し、隊員達が人海戦術で相生橋の橋梁部分全てに
有刺鉄条網を取りつけていった。
 外苑広場から敷島二十八式特殊昇圧機を運んできた技研部隊も送電線の引きこみ作業に追われていた。『し』号の時とは違って、今回の作業はあまりにも時間が少なかった。
 それでも、作業が開始されてからものの三十分もしないうちに相生橋はすっかりと有刺鉄条網に覆われてしまっていた。

 「ゴジラが来ます!!」「ゴジラ接近!ゴジラ接近!」遂にゴジラが永代橋をなぎ倒してその巨体を顕わした。ゴジラは川の中央付近に一度立ち止まると天に向かって凄まじい咆哮を上げた。
 
 防衛庁敷地内にある明治天皇聖蹟近くに設けられたテントの中で九重一馬は所在なげに座っていた。佐伯と川嶋は、一馬をこの場所に案内すると防衛庁庁舎内へと行ってしまっていた。
 ゴジラ接近の知らせがテントへ届くと、一馬は他の隊員達に混ざって、ゴジラの姿が確認できる場所まで走っていった。

 「電源投入!」「電源投入します!」敷島二十八式特殊昇圧機の操作盤に陣取った技研部隊の二等陸尉が命令を受けて電源のスイッチを入れた。その途端、特殊昇圧機が低い唸りを上げ始めた。
 「誘導灯、点火!」「誘導灯、点火します!」続いて、橋の数十ヶ所に設置された誘導灯に火が入れられ、点滅を繰り返し始めた。
 ゴジラはその点滅に気がつくと、相生橋に向かってゆっくりと近づきはじめた。

 「佐伯一尉、ゴジラが相生橋に!」庁舎の屋上に上がった佐伯と川嶋は、そこから作戦の推移を見守っていた。

 ゴジラが相生橋の有刺鉄条網に覆われた鉄骨にその巨大な腕をかけた。と、その瞬間バリバリという雷が何十も同時に落ちたような音とともにゴジラの身体から蒼いスパークが迸った。
 ゴジラは電撃のショックを受け、水飛沫をあげて川の中へ倒れこんだ。
 「やった!」「成功だ!!」隊員たちは口々に叫んだ。
 「水中のケーブルに通電せよ!」「ケーブルに通電します!」操作盤の別なスイッチが入れられ、今度は川底に敷かれた電線に高圧電流が通された。
 ゴジラの身体から再び蒼いスパークが迸りゴジラは苦しげな咆哮を上げた。ゴジラは川の中でのたうちまわり、その度に溢れかえった川の水が佃の住宅街に流れこんでいった。

 だが、自衛隊の反撃もそこまでだった。
 ゴジラは何度目かの咆哮の後、突如放射能火炎を水中から相生橋に向かって放った。その熱によって相生橋に巻かれた有刺鉄条網も電気ケーブルも全てあっという間に溶け、続いて熱で折れ曲がった鉄骨が自重に耐えきれなくなり、轟音とともに川の流れの中に落ちて行った。
 「ああっ、駄目だ!」その様子を見ていた一馬は思わず叫び声を上げた。
 電流が途端に途絶え、ゴジラは再びゆっくりと立ちあがった。

 「くそお・・・!」佐伯は屋上の欄干を握り締めゆっくりと移動し始めたゴジラを睨みつけた。

 ゴジラは電撃によって多少のダメージを受けたのか、再び上陸することなく、晴海運河を下り東京湾へとその身を没した。



前のページへ        TOPページへ        次のページへ